理念

 私たち日本人はこの列島特有のやさしく美しい、しかし時に厳しい自然条件に育まれた社会に包まれ、また社会の一員として家族や他人を包こんで、数千年もの間この列島に住み続けてきました。

 この包まれて包む心地良い境地、すなわち寛容の心こそが、日本人の精神の原点です。その源は、日本の自然を象徴する森にあると考えて、それを分かりやすく「森の心」と呼ぶことにします。社会で近年この寛容の心=森の心が忘れられ、他人を責め立てる言動ばかりが目につくようになり、多くの面で機能不全に陥っております。

 もはやこのような状態に拱手傍観することは許されないとの思いから、「森の心」を取り戻し、次世代に伝えることを基本理念として活動することにしました。

1 「寛容」=「森の心」の理念

 当法人の基本理念である「寛容」=「森の心」とは、心が広いなどの普通の意味とは少し違います。日本の自然条件の下で人に包まれて人を包む心地良い境地のことをいいます。

 「寛容」の根源には、この極東の列島のやさしく美しい、しかし時に厳しい自然条件があります。日本の森の中に座って背筋を伸ばして深呼吸をすると、森の気に包まれて肩の力が抜け、清々しい凜とした気分になり、心が広くなったように感じられるでしょう。これが、「森の心」に満たされた状態です。

 私たち日本人は、このような特有の自然に育まれた社会に包まれ、社会の一員として人を包んで、何千年もの間生きてきました。この包まれて包む心地良い境地こそが、日本人の精神の原点です。世にその心が満たされたとき、人々は伸びやかに活動し、平和で充実した社会をつくってきました。

 ところが、近年日本人本来の心であるこの寛容の心が忘れられ、他人を責め立てる言動ばかりが目につくようになり、その結果、社会がしなやかさを失って、多くの面で機能不全に陥ってしまいました。

 さて、日本のように人を包み込む社会は、必然的な反作用として、包み切れない人や考え方、すなわち異端を排除しようとします。これが「不寛容」です。つまり、日本人の精神構造において、寛容と不寛容は、1枚のコインの表裏のようなものです。もちろん、寛容が表の心、不寛容が裏の心ですが、始末の悪いことには、裏の心のほうが刺激されやすく乗りやすい性質をもっていて、気をつけないとすぐ表と裏が反転して分からなくなってしまうことです。

 本法人の理念に賛同される方々が、寛容の心=森の心を保持し、広めることによって、何よりもその人自身が、先ほど述べた包まれて包む境地で充実した生活を送ることを心がけることができ、そのことによって、人々が伸びやかに活動できる社会づくりに寄与し、日本再建の道筋をつけて次世代に託することができると信じます。

 

2 日本人の表の心としての寛容

 2011年3月11日の東日本大震災の翌日のことですが、テレビに避難所の様子が映っていて、津波から避難してきた一人の若い女性がインタヴューを受けていました。その人は、「家も何もかも失ってしまいました・・・でもいいんです、命があっただけで・・・」といって一筋の涙を流しました。あまりの振る舞いの立派さに、胸が痛くなりました。

 避難者は、実に静かにやって来て、先に着いていた人たちは、ドラム缶でたき火をしてやって来る避難者に暖をとらせるなどして世話をしています。大きな声が飛び交うことはなく、自然に規律が出来上がっているかのようです。自然に対する憎悪を表すこともなく、覚悟の表情さえ見て取れました。外国の特派員は、このような避難者の様子に品格を感じたと報じました。

 このような避難者の様子は、おそらく日本人全体に共通する精神の有様を示していると思います。地震学者の寺田寅彦は、普段やさしく時に厳しい我が国特有の自然条件が、我が国民性の優れた諸相を作り上げてきたと書いていますが、まさしく至言です。

 今回の大震災に遭ってみて、どうして私たちの祖先は、世界の東のどん詰まりのこんな危なっかしい弓なりの列島にやって来たのだろうかと想う人が少なくないはずです。日本列島が海面の上昇などで大陸から完全に切り離された以降(1万1000年くらい前以降でしょうか。)は、海を渡ってやってくるのにかなりの危険が伴ったに違いありません。新天地で新しい生活を始めるというある種の覚悟があって危険を乗り越えたのでしょう。

 来てみると、そこから先は大海で陸地は全くない、気候は温暖で、自然はやさしく美しい、ただ、時に地震、津波、洪水、台風などの猛威が襲うが、間もなくこれらは去って行って、元のやさしい自然が戻ってくる。この繰り返しで、人々は天災にあっても、自然に逆らわなければ、被害を乗り越えて立ち直って行けることが分かってきました。この列島の地にとどまってその自然を受け入れて生きていく以外の選択はありませんでした。

 こうして私たち日本人は、特有の自然に育まれて、包まれて包む心を育んで来たのです。

 

3 日本人の裏の心としての不寛容

 このようにしてできてきた日本人の精神構造は、置かれた状況を運命だから仕方がないと受け入れる気質に結び付きます。

 そのため、社会で横並びになりやすいことは見やすい道理です。今、小学校の先生が教室で何か質問をすると、生徒はまず横の生徒をみるといいます。そして、自分の答えが大勢になりそうなのを見極めてから、手を挙げるというのです。人と違うことをいうと、いじめられるかもしれないと心配するのだそうです。法律家の卵を育てる法科大学院や司法研修所でさえも、同じような現象がみられるとも聞きます。

 このような横並び思考のスタイルが社会に充満してくると、骨のある思想、哲学、正義の観念といった理性の成果品は育ちにくい、横並びすなわち社会の大勢かどうかだけで物事が決まっていく、なぜそれが正しいかは考えない。そうなりますと、横並びであるということが即世の中の建前であり、この建前が正義の代役を務めるようになります。少数でも正しいものは正しいという発想を持ち得ず、自分の頭と心で正しいものを求めていくということはしなくなります。こうなっては、社会の精神の力はどんどん衰えていき社会が衰弱していきます。今のこの国の状態は、まさにこの横並び建前社会の真っただ中にあるといってよいでしょう。

 この横並び建前社会の怖い面は、建前から外れた人に対して恐ろしく不寛容になって、社会からはじき出そうとする陰気なエネルギーを発することです。学校や社会になじめない最近の多くの不遇な若者たちは、このような日本社会の不寛容の犠牲者といえます。

 この横並び建前現象は、この国の社会の至る所でみられます。

 その最も分かりやすい例は、学校のいじめです。いじめの本質は、多くの場合、横並び建前に立つ生徒が横並びから外れたとみられる生徒に対して攻撃することです。KY(空気が読めない)などという嫌な言葉にそのことが表れています。このように、いじめは日本人の精神構造に深く根差していますので、問題は深刻です。

 次に、政治の世界です。多くの政治家は、どうアピールしどう行動したら大衆の横並び建前にヒットするかに腐心していて、その人自身の政治哲学を強く感じさせる政治家は少なくなったような気がします。

 刑事の判決は世間の見方を反映して、以前に比べると、罪を犯した者に対して随分厳しくなっています。会社や役所内部の懲戒処分や、行政の企業に対する規制・制裁なども、重すぎると感じるものが多くなりました。

 霞ヶ関の中央官庁は、天下国家を論じることはなくなり、最も恐れているのは、社会の建前から外れて叩かれることのように見えます。

 企業ではやりのコンプライアンスも、他社との横並びばかり考えてやらされ感が強いため、なかなか身に付きません。

 大新聞の社会面は、社会の横並び建前を忖度してそれから外れた人を叩くことに急で、建前以外のしなやかな見方を伝えることがほとんどありません。

 こうしてみると、現在この国の社会の各界で、日本人の裏の心である不寛容で横並びになりやすい状況、すなわち異端を排除する傾向がはっきりみてとれます。日本再建の道筋を求め、それを次世代に伝えようとする私たちは、このことをしっかり認識してそれに向き合わなければなりません。